文乃の思考整理

20代後半女性。ADHDの診断あり。抑うつ状態で休職から復職。カウンセリングに通いつつ、生きやすさを模索する日々の記録。

“父親が許せない”から解放されたい

こんにちは、ふみのねこです。
休職していると定期的に、「このままでいいのか」という不安に押しつぶされそうになって、夜中にお目目パッチリになります。
不安はたくさんありますが、1つ1つ自己分析していこうと思っています。

今回は、“許せない”という感情から、解放されるについて考えてみました。今のところの結論としては「傷ついた自分を認めてあげる/自分が幸せになってもいいと許してあげる」ことだと思いました。
※「私の父親に対しての恨みの整理」なので、殺人とかそのレベルの話だと許す許さないの次元が違ってくるので、あまり参考にしないでください。子供っぽい内容ですみません…。

そもそも許せない状況とは

「誰かが自分を傷つけたとき」
「誰かが自分を蔑ろにしたとき」
「誰かが自分の大切なものを壊したとき」etc…
自分のテリトリーに何かしらに“キズ”がついた状態で、相手を責めている状況のことだと思います。自己防衛として、当たり前の反応だと思います。

私は現在27歳女で、一人暮らししていますが、約1年父親と連絡をとっていません。この年にもなって反抗期かと思われると恥ずかしいので、周りには言えていませんが、できればこのまま会わずにいれるなら、会わずにいたいと思っています。

いまだに父親とわだかまりがあるのは、小さいころから「誰の金で食えていると思っているんだ」と言われ、父親の感情に振り回され続け、自分を押し殺してきた過去があるからです。

 

“許せない”は辛い

“許せない”っていう感情は、相手の嫌な行為がきっかけだったとしても、あくまで“自分が許さないことを選択し続けている状態”だと思います。
許せないって自分で決めるということは「自分が傷ついた過去を、当時の痛みをリアルに抱えたまま、相手を加害者として責め続ける」っていうとてつもなく苦しい状況です。ひとまず私は苦しいし、幸せとは真反対の位置にいます。
苦しいけど、私が苦しまなきゃ、相手を責められないんです。被害者がいないと、加害者がいなくなっちゃうから。

相手を責めて、私と同じように苦しめ!って思っているのに、許さない限り自分が苦しみ続けなきゃいけないって、皮肉だなって思います。
それも自分が苦しもうが、苦しまなかろうが、相手の幸せ/不幸せにはまったく関係がないんです。

 

自分が幸せに生きるために

許せないカラクリに気づいてから、私は「傷ついた自分を認めてあげる/自分が幸せになってもいいと許してあげる」ことを心がけるようにしました。
むしろ相手を憎み続け、自分の幸せを放棄するなんて、なんてもったいないんでしょうか。憎むべき相手に、いつまで私の時間を費やし、今後も縛られ続けていくのだろうかと思うと恐ろしくて仕方ないです。
私が具体的にしたのは、①憎しみの対象から距離をとること②当時の苦しみを紙に書き出して、「自分の苦しみ」を認識してあげること③苦しんだからこそ、幸せになろうと決意すること

いまだに会いたくないし、たまに苦しみを思い出しますが、距離をとったことで、だいぶ思い出す時間も減ってきました。周りの「親孝行してあげなきゃね」という言葉はひどく胸に突き刺さります。
でも幸せになりたいって思うから、ひとまず私は自立して、自分を自分で幸せにすることからはじめようと思います。